中村ラジオへようこそ。 与えるスケール。 人生で何をしたかは、どんな仕事をして、どんなものを作ったかでは決まりません。 大切なのは、どれだけ人に与えたかということ。 与えるといっても、物ではないと思います。 生きていくための知恵、心安らぐ方法、新しいものの見方、こういったことをたくさん見つけ、たくさんの人に分け与えることができたら、自分も幸せになれると思うのです。 四十代という自分の年齢を考えると、人生のちょうど真ん中です。 真ん中まで生きてきた人間には経験があり、それを人に与えることができます。 寿命まで、また半分しか生きてないのであれば、蓄えてきたものを壊し、ゼロからもっと素敵で新しいものを見つける勇気もあります。 だからまず、僕は関わる人すべてに何かしら与えたいと思います。 自分一人で引き出しにしまい込むことなく、惜しみなく与えようと決めています。 それが僕の年齢の社会人としての責任だと考えているのです。 いかなる年齢でも、いかなる立場でも、与えなければ得られないのは真実です。 会社は自分が成長するために何をしてくれるのだろう。 国は社会を良くするために何をしてくれるのだろう。 こうしてじっと待ち、くださいと要求ばかりしても、何一つ得られません。 まず自分から与えれば、必ず何か返ってきます。 自分には何も与えられるものなどない、と悩むことはありません。 誰でも何かしら与えられるものは持っているはずで、まずはそれが何かを見つけましょう。 生きる知恵は分からなくても、人を笑わせ、心和ませることができるなら、それを与えましょう。 すべてを素直に懸命にやり、初々しさを与えましょう。 それができるようになったら、目の前の人だけを笑わせるのか、世の中のみんなを笑わせるのか、スケールを考えましょう。 与えるスケールを大きくすれば、返ってくるものも大きくなります。 もしかすると、それが成長ということかもしれません。 皆さんこんばんは。 今夜も中村ラジオへようこそ。 私は当ラジオ局のディスクジョッキー、中村です。 皆さん、今日は九月九日。 では、明日は何の日でしょう? はい、そうです、教師の日です。 では、皆さんはこの教師説がどのように制定されたか、ご存知でしょうか? 困った時には百度知道。 ちょっと調べてみました。 現在の教師説は、千九百八十五年の第六回全国人民大会で定められたそうです。 この九月十日には特段の意味はなく、全てが新しく始まる新学期早々、教師を敬うことで「教師教好、学生学好」の良い学習環境を作っていこうという狙いがあるようです。 大陸では十日の教師の日も、台湾では九月二十八日で、これはかの孔子のお誕生日なんですって。 ついでに、Wikipediaで世界の教師の日について調べてみると、お隣の韓国は五月十五日で、学問好きで有名な李氏朝鮮の第四代国王、世祖のお誕生日。 インドは第二代大統領ラーダ・クリシュナンのお誕生日である九月五日。 アメリカは五月の第一火曜日、ロシアは十月五日で、これはユネスコ国際連合教育科学文化機関が定めた世界の教師の日だそうです。 さて、我が国日本というと、あれ? ありません。 ええ、そうなんです。 日本にはないんです、教師の日。 中国の有名な毛丹青さんがブログで言っていたことなんですが、日本では千九百八十八年に国会で教師の日を作るための法案が出されたそうですが、廃案になったそうです。 毛丹青さんは、日本に教師の日が存在しないのは、教師の日を作ってしまうと、医者の日や弁護士の日なんかも作らないといけなくなる可能性があるからとか、日本では師を尊ぶ伝統が頑然であるとか、教職は聖職ではないからなどと三つの可能性を挙げていますが、確かに最初の理由はいかにも日本人的な考えですね。 まあ、私自身、教職を聖職とは思っていないですし、自分に聖なる部分なんて見当たらないですしね。 さて、教師の日のうんちくはこれぐらいにして、このラジオを聴いている皆さんにお願いがあります。 明日の教師節、ぜひお世話になった先生に近況を伝えるメールを送ってほしいんです。 教師と学生の関係は教室にいる間だけというのが現実かもしれませんが、学生の皆さんが思う以上に、教師は卒業した学生や今は担当していない学生のことを懐かしんでいます。 もともと人が好きで、人との関わり合いを求めて教職の道を選んだわけですから、先生たちは皆さんからのお便りを結構楽しみにしているんです。 日本語学科の卒業生の中には日本語の道を歩いていない人もいて、残念ながら日本語に自信がなくなって先生に連絡するのが恥ずかしいと思う人がいるかもしれません。 でもね、私は学生に日本語だけを教えてきたつもりはありません。 いいこと、そうではないことも含めて、一人の人間として四十数年生きてきた感想と教訓を話しています。 ですから、日本語を忘れてしまったとしても、君は中村から受け取った何かは覚えているでしょう。 それだけで君はずっと私の可愛い教え子なんですよ。 本日の朗読のテーマ、与えるスケールでも言っていますが、人生で大切なのはどれだけ人に与えたかということ。 皆さんも多くの先生からいろいろなものを受け取っているはずです。 反面教師という言葉もあるくらいですから、中にはどうしようもない先生もいたでしょう。 私にもいましたよ、こういう先生。 でも自分はこんな先生にはならないぞって思うきっかけになったわけですから、やはり与えられたものがあったわけです。 皆さんがご家族やご親戚以外で最も早く最も深く知り合う人は先生です。 先生は先に生きると書きます。 十数年、皆さんに様々なことを有形無形で教えてくれた人生の先輩です。 先生だってごく普通の人間ですから、時には調子が悪かったり、教職が嫌いになったり、他の職業が羨ましくなったりしちゃいます。 若いうちは理想に燃えていても、おじさんおばさんになるにつれ、そのパワーが落ちてきたり、学生とのジェネレーションギャップを感じて寂しくなったりして、だんだん熱い先生もぬるくなって、悪くすると冷たい先生になってしまうんです。 そんなお疲れ気味の先生たちも、明日可愛い教え子の皆さんから先生お元気ですか? 私は頑張っていますってメールをもらったら、きっと体中にエネルギーが復活して、明後日からもっといい授業ができるのではないかと思うんです。 皆さん、ぜひ明日は全国の先生たちに熱いパワーを与えてください。 明日はどんな嬉しいお便りが届くかしら? それでは皆さん、次回またここでお会いしましょう。 おやすみなさい。