明るい声を世の中に。 中村ラジオへようこそ。 軽くなる生き方。 松浦弥太郎。 大切なのは持ち味を生かすこと。 もういらないという判定を持ち主から下されたものを引き取って選んで生かす。 それが古書店の店主である僕の仕事だ。 人が読み終わって不要になった本を再利用することは、少し大げさに言えば、もう一回命を吹き込むことだと思う。 一旦役割を終えた本でも、あ、これはこんな内容なんだという新しい価値を見つけ出そうとする。 新しい価値を見つけ出したら、その本らしさを最大限に生かすにはどうしたらいいかを考える。 少ししわの寄ったカバーを元通り綺麗にするだけでいいかもしれない。 本によっては、前の持ち主が繰り返し読んだらしきヨレヨレ具合も新しい価値であり、アピールポイントになるかもしれない。 いずれにしろ、その本らしくない演出はタブー。 気楽にサラサラ読めるミステリーを重厚な哲学書のように扱ったら、その本の価値を生かすことはできないし、もう一回命を吹き込むなんて不可能だ。 持ち味を生かすというのは、本だけに限らない。 料理にしても、素材の持ち味をできる限り生かすのが美味しいものを作るコツだ。 例えば、生でかじるのが絶品という野菜をコトコト煮込んでスパイスまみれにしたらどうだろう? そう、せっかくの持ち味が台無しになる。 人と人との関係にしても、相手の良さを生かすのが一番いい付き合いになる。 例えば、とても大切な恋人がいたとする。 彼女に対して自分の気持ちを押し付け、君はこんな服を着ればいい、もっと違う、こんな仕事をした方がいいとコントロールしたらどうだろう。 好きだから出た言葉であっても、一方的に自分の要求を押し付ければ、生かすどころか相手の生き方を殺してしまうことになる。 そんな振る舞いをするのなら、どんなに気持ちがあるつもりでも、その人を愛していないと僕は思う。 愛するとは相手を生かすこと。 愛されるとは、自分らしさを生かしてもらうこと。 人と人との関係であれば、生かしても生かされても、それに見返りを求めない。 それが本当の愛だと思うのだ。 こんな話をすると、あるがままでいいという耳に心地いいロマンチックな言葉に聞こえるかもしれない。 だが、本当の意味で持ち味を生かすには、とてつもない努力がいる。 野菜ならその野菜の持ち味は分かりやすい。 生がいいか、ボイルがいいか、ちょっと料理ができれば即座に判断できるだろう。 古書となると、もう少しレベルが上がる。 あるがままでいたら、ほこりまみれの本がちょっと布でこすっただけで素晴らしいデザインだったと判明し、それが持ち味だったりする。 また、本というのは不思議なもので、ある人にとっては退屈な内容が、ある人にとっては人生を変える一冊になる。 出会いもまた、古書を生かすことには作用するというわけだ。 そして人を生かすとなると、これはかなり難しい。 この世の中にあるがままでいながら、自分らしく生きている人は一体どれだけいるだろう。 自分の持ち味を生かせるやりたいことを見つけたとばかりに、選んだ仕事が全く向いていないこともある。 忙しさから自分らしさを見失って、誤った道を全力疾走してしまうこともある。 一緒に生きていく相手はこの人だ! と選んだパートナーが、お互いの持ち味を殺してしまう悲しい相性というケースも残念ながらあるだろう。 こんな難問の中をさまよってきて、僕が見つけた方法が一つある。 自分を生かし、人を生かす。 僕なりのやり方だ。 それは持ち味を自分一人で探そうとしないこと。 同時に目の前の相手の持ち味を見つけ出し、生かしてあげようと一生懸命に努力すること。 少し前まで、僕の世界の中心には僕がいた。 いかなる時も自分を中心にし、自分を中心に考え、自分らしさを決め、周りの人の持ち味も決めつけてきた。 だが、四十歳を過ぎたある時、ふと気がついた。 これまでたくさんの人が、僕も知らなかった僕の持ち味を一生懸命に見つけてくれた。 どんな場所ならその持ち味を生かせるかを一緒になって考えてくれた。 つまり、僕はたくさんの人に生かされて生きてきたのだ。 全部わかったつもりで、全て自分のセンスと判断で決めてきたつもりでいたが、それは実に子供っぽい大いなる勘違いだった。 だから今、僕はどうすれば人を生かせるかを考えている。 家族、もしくは愛する人限定ではない。 友達でも仕事相手でも、自分と関係を持つ人である以上、目の前にいる人を生かす方法を一生懸命に努力して考えたい。 自分の要求を押し付けるのではなく、その人がその人らしく生きられるよう、僕の能力でできる限り生かしてあげたい。 仮にその人が道を誤っていると感じたら、その人にピッタリの道を必死になって考えて、こっちもあるよと教えてあげたい。 多分これが人を生かすことであり、それによってまた自分も生かされるのだと思っている。