春の俳句の5作目です。 俳句における「春」は、今でいうと、だいたい2月から4月のことをいいます。 それをイメージして読んでみてください。 どのような景色が思い浮かびますか。 まず、言葉の意味を確認しましょう。 「気まぐれ」とは、計画や目的は特になく、その時の気持ちのままに行動している様子のことです。 「旅暮れて」は、旅の一日が終わって、日が暮れたことを意味します。 「桜月夜なる」は、桜が咲く夜に月が出ているという、美しい情景を表しています。 全体をまとめると、「自由に気の向くままに続けてきた旅の一日が終わり、夜になって桜が月夜に美しく咲いている」という意味でしょうか。 とても美しい景色ですが、静かで少し寂しい印象も残ります。 もう少し深くこの句を理解するために、種田山頭火(1882年~1940年)はどのような人物だったのか、見てみましょう。 山頭火は1882年に山口県で生まれました。 10歳の頃に、母親が自殺するという衝撃的なできごとがあり、山頭火の人間形成に大きな影響を与えたと考えられています。 山頭火は家庭や仕事に恵まれず、仕事の失敗や離婚、酒への依存など、多くの苦しみを経験しました。 出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 俳句との出会いは15歳の頃とも言われています。 初めは伝統的な俳句を学びましたが、次第に型にとらわれない、自由な俳句を作るようになりました。 42歳の頃、山頭火はお坊さんになって日本各地を歩く生活を始めます。 この旅の中で、多くの俳句を生み出しました。 しかし、旅といっても山頭火の旅は観光や楽しみのための旅ではありませんでした。 「托鉢」という、お坊さんの修行のひとつで、生活のために人々から食べ物やお金をもらって歩く、厳しい旅でした。 山頭火は「どうしようも ないわたしが 歩いている」という句も残していますが、この句からは深い悩みや絶望などが感じられます。 そんな旅を想像しながらこの句を読むと、「気まぐれ」という言葉には、自由さだけでなく、安定した生活を持てない不安や孤独が含まれているように感じられます。 また、「桜」や「月」といった自然はどうでしょうか。 孤独な旅人が桜や月に包まれることで、一瞬だけ心が救われているようにも読めます。 寂しさと安らぎが同時に存在するところが、この句の大きな魅力だと言えるかもしれません。 この一句は、読む人に、人生の寂しさや迷い、それでも自然の中で生きていく人間の姿を、静かに考えさせてくれるように思われます。 山頭火が生まれた山口県・防府市には「山頭火ふるさと館」があり、山頭火が詠んだ多くの俳句や、その人生に触れることができます。 ■山頭火ふるさと館 https://hofu-santoka.jp